一般社団法人日本経営士会(AMCJ)は、昭和26年創立で戦後の日本では、最初の経営コンサルタント団体です。
当時、国には経済安定本部(現経済産業省)という組織がありましたが、この組織は戦前の能率技師、大学の経営学の教授で構成されていました。この経済安定本部の肝いりで創立されたのが、日本経営士会です。
経営コンサルタントの称号として「経営士」、「経営士補」、「環境経営士」があります。
経営コンサルタントの分野として理念の構築、組織、財務分析、人事・労務管理、生産管理、販路開拓、海外展開、事業承継、6次産業化、産学連携、SDGs経営 CSR経営、環境経営、
補助金申請支援等です。
是非、日本経営士会の経営コンサルタント に、ご用命をお願い致します。
写真は平成13年(2001年)に開催された社団法人日本経営士会創立50周年 記念式典の様子
日本経営士会は全国に台湾特別支部を含めて13支部あります。
経営コンサルタント団体で全国に経営コンサルタント(経営士・経営士補・環境経営士)が組織されている団体は稀有です。
内閣府が進めている「地方創生SDGs官民連携プラットフォーム」設立趣旨に対応しやすい組織は全国に支部が組織されている日本経営士会は最も適合していると考えます。
注:台湾特別支部は日本と中国が国交を回復後、従来の台湾支部を台湾特別支部として支部名を変更しました。
北海道支部
東北支部
北関東支部
埼玉支部
千葉支部
東京支部
南関東支部
中部支部(含む北陸)
近畿支部
中国支部
四国支部
九州支部
台湾特別支部
[1972年(昭和47年)日中共同声明の関係で従来からの台湾支部は台湾特別支部とした。]
日本経営士会の誕生物語
日本経営士会の経営士・環境経営士は先輩が築いた経営コンサルタント精神を次の世代に引き継ぎます。
1951年(昭和26年)8月14日 経済企画庁の前進経済安定本部副長官の呼びかけで、同27日経済安定本部長官舎に、能率関係者と学識経験者38名が集まり官側より産業局長・産業政策課長等が出席し「マネジメント・コンサルタント」の制度化を協議した。人事官上野陽一が座長となり、準備委員会(委員長上野陽一、荒木東一郎、森川覚三、平井泰太郎、中西寅雄、上田武人、岡田 徹、大内次男)を発足させた。
四回の準備委員会後9月25日午後通商産業大臣官邸において、日本経営士会創立総会が開かれた。初代会長加茂正雄、副会長荒木東一郎、森川覚三、事務局長湯浅三二郎でスタートした。当初会員は50名だったが会員は一流能率家と一流の学者のみであった。
1955年 1 月1日 通商産業大臣より社団法人として許可された。 1990 年頃には3500名の会員をようするに至った。
日本経営士会の基礎を築いた人たち
上野 陽一(1883-1957)
大正時代に農商務省の官費で欧米産業を視察しF.Wテーラー(1856-1915)の高弟達と親交を結んだ。特に「ダースなら安くなるで有名なコンサルタントだったF.B.ギルブレス(1868~1915)同婦人リリアン・ギルブレスH・エマーソン(1853~1931)とは、生涯にわたり親交が続いた。1920年ライオン歯磨・中山太陽堂・福助足袋の実地指導をして20%以上生産性を工場スペースを30%節減したのが我が国での本格的コンサルティングの皮切りであった。1921年には上野等を講師にして大阪商工会議所が「工場管理法講習会」を開催、1924年には大阪財界人が出資して第1回臨時能率技師(当時のコンサルタントの称号)養成所を開設450名の能率技師を養成した。
1923年上野は(財)協調会の産業能率研究所長に就任、所員には内田勇三郎、荒木東一郎、上田武人などがいた。このころ大蔵省造幣局企画課長として造幣の合理化を指導している。
1926年には満鉄の能率研究を指導した。「能率の父」と称されている。
戦後は人事院の創設に参加し、初代人事官として国家公務員制度に尽くされた。産業能率大学創立者、産能短大学長(社)日本能率連盟会長、当会創立委員、初代人事部会長、勲二等瑞宝章受章。
小野寛徳(1903-1978)
東京計器常務、1931年駐米 1956年日本生産性本部視察団で渡米、購買管理国際会議へ日本代表として渡欧米。郵政省などの委員。日本資材管理者協会副会長。産能短大学長、事務管理と資材管理の権威。当会創立委員・理事。勲三等瑞宝章受章。
大内次男(1896-1974)
旅順工科大学卒業後、満鉄に入社し同社能率班で活躍した。戦後は大阪府立産業能率研究所所長として、大阪府の企業合理化に貢献された。当会設立委員。当会理事・初代大阪支部長。勲四等瑞宝章受章。
倉本長治(1903-1982)
雑誌「商業界」を主宰し商業界箱根セミナーで多くの商業経営者を育成した。戦後から高度成長期には信者に近いファンを多き持っていた。当会設立委員・理事。当会副会長。
勲五等双光旭日章受章。
卿司浩平(1900-1989)
(財)日本生産性本部の設立に貢献され、長い間同本部会長・理事長として日本の産業と経済発展に尽くされた。当会理事として草創期と発展期に会のため助言と支援を惜しまなかった。勲一等瑞宝章受章。
清水 晶(1915-1974)
明治大学教授。商品学を研究し、マーケティングの理論を確立した。そしてそれを具体的に活用するように図った。当会理事」・販売部会会長として販売部会会員に影響を与えた。
F.Wテーラーの研究者でもあった。
高宮 晋(1908-1986)
東京大学・一橋大学・上智大学などの教授。日本組織学会会長、経営組織論の権威。
1986年中国出張中に上海で客死された。当会理事として活躍された。勲三等旭日中綬章受章。
平井泰太郎(1896-1970)
日本最初の経営学博士。神戸大学名誉教授「経営士」の称号は平井博士の命名による。
その意義を「国民経済雑誌」(1952年 1月号)に「経営士の誕生」として論説した。
日本経営診断学会会長。当会初代経営部会会長。勲二等瑞宝章受章。
森川覚三(1896-1974)
三菱商事ベルリン支店長、岸商工大臣の招請により日本能率綜合会、日本工業協会に関与し1942年両会が統合され(社)日本能率協会となる。初代会長伍堂卓雄海軍中将。戦後二代会長として戦後のコンサルタント業界のリーダーとなった。当会創立委員・理事・副会長
勲二等瑞宝章受章。
加茂正雄(1876-1960)
蒸気タービンとエネルギー能率の世界的権威。東京帝国大学名誉教授。日本能率聘合会長。当会創立委員。当会初代会長。勲二等瑞宝章受章。
荒木東一郎(1895-1977)
1923年荒木能率事務所開設以来一貫してプロのコンサルタントに徹した。全日本能率連盟会長。日本経営能率研究所長。当会二代会長。勲二等瑞宝章受章。
上田武人(1901-1976)
日本コロンビヤ生産部長・京三製作所社長等。全日本能率連盟理事長。産能短大学長。当会設立委員。当会三代会長。勲二等瑞宝章受章。
西野嘉一郎(1904-2003)
小樽高商卒。商学博士。芝浦製作所社長・会長。健保連会長。各省委員等。経済同友会幹事。
当会四代会長・名誉会長。勲二等瑞宝章受章。
出典:日本経営士会の50年 (社)日本経営士会
注:F.W.テーラー
アメリカ合衆国の技術者(技師、エンジニア)で、経営学者。科学的管理法の発案者で、現代においては「科学的管理法の父」と称される。
日本経営士会は戦後いち早く経営コンサルト団体として公益社団法人全日本能率連盟より認められました。具体的には日本経営士会の資格であります、経営士、経営士補、環境経営士は全日本能率連盟の資格一覧では最初に掲載されています。
この全日本能率連盟の設立趣旨は以下です。
(上記全日本能率連盟のホームページより)
1996年(平成8年)に通商産業省(現、経済産業省)の指導のもと、『マネジメント関係資格称号に関する自主規 制規約』を制定し、翌97年よりマネジメント団体・企業の各種資格・検定を厳正な基準と審査のもとに 認証登録を実施し、健全で適正な質の高い資格の普及に努めています。 また、世界的に通用する経営コンサルタントならびに人材育成の要である研修インストラクター、それ ぞれの「品質」を保証する「マネジメント・コンサルタント(MC)認定制度」「マネジメント・インストラク ター(MI)認定制度」を独自運用し、優良な経営コンサルタント/研修インストラクター選定の目安と して活用されています。